売春婦が道にいる光景。

こんにちは。

今日は、身近にあった売春をテーマに書きます。

 

私はクリチバ市中心部に住んでいたのですが、家の前はこんな感じでした。

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(2車線の道路、公園、写真中央は交番)

 

この道の歩道には常に20代から40代くらいの女性5-6人が毎日たむろしていました。朝から夕方までです。

その人たちに実際に話を聞いたわけではないですが、行動や服装など見かける限り、また人に話を聞く限りでは、売春婦だということが分かりました。

もちろん、売春は禁止されているのですが、中心部だとよく見かけるんです。

男友達と歩いていた時、『50レアル(約1800円)でどうだ?』と売春婦と一緒にいる男の人に声をかけられたこともあります。

売春婦が多いため、『肉の道』と呼ばれている道もあります。

そういった女性が道にいるといった状況には慣れ切っていました。

 

しかし、先月帰国したわけですが、日本の道には売春婦はいない。

風俗やらそういったものは有り余るほどあるけれど、売春婦が日本の道にたむろしている姿は全く想像が出来ず、ブラジルで見たあの光景に慣れ切っていた自分が気持ち悪く思えてきました。

あの時は、確かに『あー売春婦ね。』と気にもしなかったのですが、どうしてあんなにも売春婦がいるのか考えるべきかと思いました。

 

とりあえずは、ブラジルの売春の歴史についてざっと書きます。

ブラジルは先住民の居住地だったのですが、ポルトガル人が植民地化し、そこでの農作物生産のため、アフリカ主に西海岸から奴隷を連れてきて”使用”していました。

奴隷は商品であったので、当然奴隷には人権はなく、農場主の思うがままに思うがままに使われていました。それは農業に限らず、性奴隷としてもでした。

奴隷制が法的に禁止されたのは1888年のことですが、結局、奴隷に土地や財産が与えられることはなく、街へ職を探しに出るも職もなく住む場所もなく。

結局あのリオデジャネイロサンパウロに多くあるファヴェーラと呼ばれるスラム街は、奴隷解放後、こういった奴隷が行き着いた先なのです。

そしてそこでも売春がたくさん行われていました。今もです。

避妊もしないこともよくあるようで、子供もたくさん生まれます。

そしてそのサイクルがまだ切れていないのです。

売春、貧困、売春、貧困という負のサイクルが続いています。

 

また、奴隷解放後、農園での働き手を探すため、まずヨーロッパで移民の募集しました。

その宣伝の際、多く人を集めるため、『約束された地』等、大袈裟に記載をすることもよくあり、実際に移民が来てみると仕事がない、ということもあったそうです。

そこでもやはり売春をして儲けようとする人が多くいました。

特に、ポーランド人(特にユダヤ系)や東欧諸国から来た女性が売春婦になるケースが多かったようです。

ポルトガル語ポーランド女性はPolacaと言うのですが、この単語には売春婦という意味もあるそうです。

また、木を切るための大きなはさみのような道具も、Polacaと呼ばれているとも聞きました。開脚を想像させるからですかね。

 

ざっと歴史はこのような感じです。

また売春婦の存在に加え、子どもの売春や人身売買の話も聞きます。

どこの歴史や社会でも、こういったことは切り離して考えられないですよね、たぶん。

 

おしまい。